お金に関する意識は高い"つもり"
お金に関する意識や関心は、もちろん0ではなかったです。改めてきちんと学んだり、資産運用を始めるまでは、「割とちゃんとしてる方」だと本気で思っていました。
だから、改善しようとか、もっと資産を増やすにはどうしよう、なんてことを考えたこともなかったです。
それでも自分のペースで調べて一歩踏み出して、勉強して行動して、失敗して学んで今に至ります。似た境遇の方の、はじめの一歩になれば嬉しいです。
マネーリテラシー変遷
育った環境と家訓
典型的な、父が稼いで母が専業主婦の家庭です。ちなみに親戚も我が家も公務員一族で、民間企業で働いている親族は思い浮かびません。
「お金は汚い、悪だ」という嫌儲思想は全くない家でした。親戚一同が「The 安定」な職業だったので、お金に対して良くも悪くも執着する必要がなかったのでしょう。
家訓は【借金と連帯保証人は絶対NG】です。
「うちは遺産もないけど借金もない」というのが父の口癖でした。子どもたちが遺産相続で争う必要もなければ、借金で苦しむ必要もない。自立して生きていけとよく言われていました。
両親は現金主義で、クレジットカードは危ない、オンライン購入はわかんないし怖そう、と思っていそうでした。敢えてやってみる必要性を感じていなかったのかもしれません。新車も現金持参で買っていました。
お金の教育については、ポロポロと単発の記憶があります。一番すぐ思い出したのは、お金に関する本を買ったこと(後述)で、次が、父からある日給与明細を見せられて、「うちの月収・年収はこれくらいだから、できることとできないことがある」と言われたことがあります。
幼少期〜高校生
お金に関する姿勢をより正しく言うと、小さい頃から「減るのが怖い」タイプでした。
理由は、お小遣い制ではなかったから、かもしれません。
勉強に必要なものは買ってもらい、欲しいものはお年玉で買う。習い事はやりたい理由を伝えてお願いし、月謝を払ってもらうイメージです。
テストの点がいいとお小遣いをもらえる友達が、うらやましかったです笑
産まれた頃に祖父母が準備してくれたお祝い金が定期預金口座にありまして、バブル崩壊前だったので利率が10%程度でした。
母から「今はもっと下がってこの利率だから、特に理由がなかったら満期まで待ったほうがいいよ」と教えてもらいました。
自分なりに解釈し、満期までは出さない=お金を使うのはもったいないというサイクルの完成です。
この考えはお年玉まで波及し、お金がなくなると欲しいものがあったときに買えない→なら買わないということを毎年繰り返していました。
口座に毎年1行、お年玉を振り込んだ額が増えていくのが楽しみでした。書いてみて思いますが、明らかにバブル経験者とは価値観が違うでしょうね。
大きな買い物(自分の好きなもの)を購入した記憶がありません。ゲームボーイカラーとポケモンのソフトくらいかな?
良く言えば、倹約できる体質です。今でも、ブランドやおしゃれに興味がないです。
悪く言えば、上手なお金の使い方を知りませんでした。趣味も特になし。
自分の意志で買った、初めてのお金の本
中高生の頃に、たまたま本屋で見かけて「この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)」を購入しました。
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) [ 西原理恵子 ] 価格:607円 |
西原さんの幼少期の実話で、お金がないことで起きる負の連鎖。女性はいざというとき逃れる・強くあるために稼げる力が必要だよ、と実体験を持って語ってありました。
エピソードと母を重ね、「知恵をつけて、稼いで自立しなきゃ」と当時強く思ったことを思い出しました。
我が家は裕福ではありませんが、恵まれていた方でした。子供は全員大学にいかせてもらえたし、習い事も何個かさせてもらえました。両親は、喧嘩はするけど仲もいいです。
いわゆる昭和の夫婦像で、父は結婚後「子供もいるので家事に専念して欲しい」と母に持ちかけ、祖母をみて育った母はその提案に賛成してそのまま家庭に入り、専業主婦になりました。
父が大黒柱で唯一の収入源なので、父を尊重するように母が家の規律をを作っていました。意図して作った文化ではありますが、私の大学の進路選択の時に「普段は私が見守っているのに、いざと言う時はお父さんが決める」とも母はこぼしていました。
母は幸せそうですが、何かあった時にすぐ経済的に自立するのは難しい。西原さんの本を読んで、自立も選べる状態であることの大切さを学びました。
マネーリテラシーの超大前提を学んだ、という段階でしょうか。
大学生
親元を離れて一人暮らしを決意。兄弟がいるので、国公立に進学し、最初の1年は寮に入りました。スーツケースに荷物を入れて、ドキドキしながら新幹線に乗ったなぁ。
最低限の自活力を養う
大学の生協で「一人暮らしはじめてBook」があったので、自炊編と家事編を購入。家賃は収入の3割、収入の2割は貯金といった超基本的な考え方と、自立する方法を学んで、寮で慣らしていきました。
自炊の本は、母から教えてもらって買ったりもしました。
家計管理は手帳
支出は日記も兼ねて手帳に記入することで、家計簿がわりにしていました。
夏休みの日記など、コツコツするのは苦手なタイプだったので「めっちゃちゃんとしてる、偉いぞ自分!」となっていました。
収入源はバイト 単価と拘束時間を重視
授業料を出してもらっているのに、時給単価900円程度で切り売りするのはもったいないと考え、節約に全振りしていました。
お金が足りないときは、大学の治験やスナックでバイト。スナックは時給1500円で働いていたので、周りより1.5倍高い単価でした。だから当時は「ちゃんと単価まで考えている!」と思っていました。
時給が高ければいいものではなく、金額に比例して苦痛も大きくなるリスクを学びました。タバコの煙は臭いし、お酒は強くないし、何より酔っ払いがうっとうしい笑
ママがちゃんと守ってくれるお店でしたが、3ヶ月もしないうちに続ける気はなくなりました。好きでもない人と飲んで、話の通じない人に馬鹿にされ、長くて同じ話を聞くのは苦痛だったので、長期休みで集中して10万円ほど稼いだのを最後に辞めました。
そう言う意味では、時間のありがたさや「誰と過ごすか」の大切さを学べました。
奨学金
授業料は親が出してくれていました。上述の通り、生活費のためのバイト漬けはもったいないと考えて奨学金の利用を決意。
兄弟も利用していたので自分もそんなもんだと考え、他の選択肢を調べることもしませんでした。第二種奨学金で毎月5万円借りていて、総額100万円を超えた時点でふと返済期間を調べました。
100万円は、大学生の自分にとっては大金です。「利子付きの借金返済に20年以上かける人生って、やりたい?」と思い、途中でストップ。
生活を切り詰めて、なくても生活していける工夫をしました。
※第二種奨学金は在学中に返すと利子がつかなかったので、まず親に立て替えてもらってから社会人になって親へ返済しました。
固定費
家賃は2.4万円(学生限定だから超安い)、川辺なので湿気がひどかったです。
携帯料金は実家のNTTの流れでドコモ。5000円/月
Wifiルーターが急遽必要になり、1−2年ほどドコモ。3500円/月 この時も、たいして得でもないのに、窓口に言われるままDCMXのクレジットカードを作ってクレカデビューしました。
就活費用
就活は漠然と「東京で就職」と決めていました。長期有給インターンに申し込んで、東京のウィークリーマンションに滞在し、合間を縫って就職活動。
インターン後は夜行バスで往復と、都内在住の友人の家も転々としていました。
このときも、家計簿をつけて就活振り返りをしていました。お金が減るのが怖かったから。「支出を抑えれてるし、頑張ってるぞ!」と思っていました。
家庭環境を土台に、どう育むかがポイント
振り返ると、マネーリテラシーの土台は、育った環境が与える影響が大きいと改めて感じました。
時代を感じる「うちルール」はありましたが、両親が子供達優先でお金をかけてくれたおかげで、こうして自立した生活が送れています。
だから、両親に「なんでお金について、もっとこうしてくれなかったの」とは全く思っていません。むしろ、仕事もきついしもっと遊びたかっただろうに、育ててくれてありがとうと思っています。
両親は、それぞれの祖父母を見て育っています。両方とも祖父が公務員で母が専業主婦。お金は子供にかけ、質素倹約して貯金するスタイルでした。
学校で教えてもらえない知識のベースは親の影響を受けつつも、ちょっとずつ自分でチューニングして舵を切っていくのが大切です。